スクランブルに恋をして。

Hey! Say! BESTの曲の中でも、人気曲の1つであるスクランブル。澄んだ冷たい空気の中に、春の気配が見え隠れする2月後半から3月にかけて、私は無性にこの曲が聞きたくなります。BESTの曲の中でも、スクランブルが私の1番のお気に入りです。

 

_____出会いのきっかけは、Twitterの検索機能。

 

jumpに興味を持ってから、最初にしたことは、人気曲を知ることでした。レンタルショップで一通りCDを借りてきたものの、どこから手をつけよう?そう思った時に、とりあえず人気どころから聞いてみようとなったわけです。インターネットでの検索はもちろん、リアルタイムでの人気も知りたかったので、Twitterでも検索をかけました。

 

そしてリサーチの結果、どうやらRELOADとスクランブルがやばいらしい...との情報を得ました。RELOADはレンタルショップから借りてきたCDの中に収録されていたので、すぐに聞けたのですが、スクランブルは初回盤に収録されているものだったので、その時は聞けずじまい。

 

RELOADをきっかけに、jumpの魅力にどっぷりとハマってしまった私は、スクランブルとは一体どんな曲なのか調べ始めました。とはいえ、検索をかけてもかけても出てくる感想は、「スクランブルは、やばい。」というものばかり。

 

いや、だから何がどうやばいんだー!?

 

耐えきれなくなった私は、とうとう音源入手に踏み切りました。

 

聞いた後の私の第一声は... 

 

「やばい。」

 

ライブDVDを見た感想の場合の「やばい。」は、「かっこよすぎて、やばい。」って意味なんだろうってすぐに理解できると思うんです。

じゃあ、曲を聞いた後の感想が「やばい。」って一体どういう事なのか?みんなにそう言わせてしまうこの曲の魅力ってなんなんだろう…?

今回は、自分が考えるスクランブルの魅力について、思いのままに綴ってみようと思います。

 

私の感じたスクランブルの魅力

 

その1 耳心地の良さ。

この曲は、なんでこんなにも耳心地が良いんだろう?と考えた末に、2つのポイントに行き着きました。

 

①使われている音域の広さ

冒頭のどこか切なげな透き通ったイントロにグッと意識を引き寄せられ、一気に曲の世界観に飲み込まれます。そしてなんと言っても、音域の広さ。自分には出せない少し掠れ気味の男っぽさ溢れる低音にドキッとして、サビの切なくも甘く歌い上げる高音にまた心を揺さぶられる。ただ甘いだけじゃなく、時折現れる男性特有の低い声がピリッと曲を引き締める。そんなところが、またもう一度聞きたい!と、後を引く要因の1つなのかもしれません。

 

②メロディーへの歌詞の乗せ方

個人的に、曲のメロディーにア段が乗るポイントが、とても心地よく感じました。実は、この母音の「ア」って、作詞をする上でとても大事な音なんだそうです。

 

いきものがかり水野良樹さんは、2016年10月18日放送の関ジャム完全燃Showで「一瞬で人の心をつかむためのテクニック」として、サビ頭の母音を「ア」から始まるように作詞をしているとおっしゃっていました。日本語の母音の中で一番はっきりと聞こえるのって、「ア」って音なんだそうです。人間は驚きや喜びを伝えるとき母音の「ア」がつくことが多いとか。だから、曲の冒頭やサビは、なるべくこの音から始まるように意識的に歌詞を書くようにしているそうです。

 

その話を思い出して、歌詞カードを改めて見返してみました。 f:id:yk441:20170202005513j:plain

すると、びっくり。歌詞カードのスペースが空く3〜4行までを一つのブロックとして考えると、サビ頭のみならず、どのブロックの冒頭の歌詞も、全部ア段から始まっているんです。

これは意図的なのだろうか...?意図的だとしたら、この歌詞を書いた薮くんは、相当な策士。

 

その2 歌詞の世界観が綺麗。

 「この曲の最大の魅力は?」と聞かれたら、私は迷わず、「歌詞が綺麗。」と答えます。

 

叙事詩と叙情詩のバランス

この曲は、叙事詩と叙情詩のバランスが絶妙だなと感じます。歌詞の中に出てくる“ぼく”の周りの様子や行動を説明することで、蘇ってきた“ぼく”の感情が、聴き手にじんわりと伝わってくる。そんな繊細な水彩画のような描写が、この曲の最大の魅力だと私は思います。

伝わり方は、あくまで 〝じんわり〟と。一回聞いただけで、歌詞の内容を全て味わい尽くせてしまうと、飽きてしまうんです。けれど、この曲は、聞けば聞くほど、ぼんやりとした過去の記憶を呼び起こすかのように、自分の脳内に浮かぶ曲の描写がじんわりと色濃くなっていく…そんな感覚を覚えます。私にとっては、それが面白くて、心地よかったのです。

 

②たくさんの対比

歌詞の中にたくさん対比が使われているのも、この曲の歌詞の魅力的なポイント。 f:id:yk441:20170402020927j:image

対比になっている言葉やフレーズに色をつけてみると、かなり沢山の対比の描写が取り入れられていることが分かります。(後半部分はまた後で触れるので、画像では省略。)

全体として大きく見ると、1番は主に回想を中心として過去を歌っているのに対し、2番はぼくの心情を中心として現在を歌っています。

ここからは、大きなコントラストの中に散りばめられた沢山の対比表現について、私なりに感じた面白さを1つ1つ綴っていこうと思います。

 

ⅰ つないだ手と糸

つないだハズの小さなその手のひらの感触は

糸がほつれていくように流れた

ここでまず注目したいのが、“ほつれていくように” という言葉。最初に歌詞を読んだ時に、なんでほどけるじゃないんだろう...?って少し疑問に思ったんです。調べてみたところ、基本的には、両方とも同じ意味らしいのですが、ほつれるという言葉には、〝とけて乱れる〟という意味合いがあるそうです。そんな細かいところにも〝スクランブル〟を感じられて、言葉選びの丁寧さが伝わってきます。

 

そして、ここのフレーズの魅力は、“つないだ手” と “糸がほつれていくように” という対比だけにとどまらず、2番の歌詞で、さらに後半部分の表現が変化しているところなんです。

1番では〝流れた〟となっているところが、2番では〝消えゆく〟となっています。この表現の微妙な変化に、繋いだ手の感触が消えてしまうほど時が経ったことを感じ、さらに切なくなります。まさに、“立ち止まるぼくをあざ笑うように進む” 時の流れを感じられる歌詞だと思います。

 

ⅱ 背伸びするぼくと踵をあげる彼女

聴き手をこの曲の世界観にグッと引き込む要となっているのが、このフレーズ。

背伸びしすぎねとぼくに囁きながら
いつも自分で踵をあげたね

この曲の何がすごいって、ここなんです!!

ここを誰かに語りたいがために、私は今回このブログを書いたと言っても過言ではないくらい、私はこのフレーズが本当に大好きです。

 

ぼくよりも背の低い彼女が、自ら背伸びをして、唇を重ねる光景が目に浮かぶなんともおしゃれな言い回し。ただ、それだけでは終わらない。

 

このフレーズの冒頭の “背伸びしすぎねと囁きながら” に注目すると、今度はぼくと彼女の関係性が浮かび上がってきます。彼女に追いつこうと背伸びをして、早く大人になろうとするぼくと、それをお見通しで余裕な彼女。

ぼくがいくら頑張って追いつこうとしても、彼女はいつもヒールを履いて大人ぶるから、その差は埋まらない。“踵をあげる” という言葉を、大人の女性から連想される 〝ヒールの高い靴を履く〟という意味合いに捉えると、そんな解釈も出来て、切なさに胸がキュッとなります。

 

このように、ぼくと彼女の物理的な身長差を表現しつつ、〝キス〟や 〝くちびる〟などといった直接的な言葉を使わずに、暗に、聴き手に2人の状況や恋仲であることを分からせる。さらに、ぼくと彼女の関係性の背景までもが表現されている。たった2行に、物理的な描写と、精神的な描写の双方が映し出されているところが、おしゃれで素敵な表現の仕方だなぁと感じます。

それを踏まえて俯瞰で見ると、精神的に “背伸び” をしているのはぼくの方だけど、物理的に “背伸び”をしているのは彼女の方...なんて対比も見えてきて、また面白い。色んな角度から見れば見るほど、この曲を好きになる...そんな風に思わせてくれる2行です。

 

ⅲ 『のに』と 『から』

 1番のBメロと2番のBメロにある “気持ちの鍵” という表現。パッと見ただけでも、これは1番と2番が対になってると分かるコントラストのハッキリした表現です。

 

ここの面白いところは、“知っていたのに” の対になる歌詞が、 “知っていたから” になっているところ。他の部分は、“さえない表現” と “楽しげな表情” 、“鍵をかけた” と “鍵をあけた” のように正反対の表現が使われている。それに対して、“知っていたのに” と “知っていたから”の対比は、知っているというベースは共通していて、最後2文字の接続助詞でコントラストをつけているところが、面白い。何気なく聞き流してしまう箇所だけれど、こういう細かい部分にこそ、日本語表現特有の繊細な色使いが感じられて、とても素敵です。

 

ⅳ 足跡だらけの砂浜と波

2番のAメロに使われているこの歌詞。1番で、しっとりと彼女とぼくの思い出に浸っていた聴き手の意識を、ここから徐々に現在へと引き戻していきます。さらに、1番では比較的、言葉と言葉の対比が中心でしたが、2番からは情景の中での対比が加わりはじめ、曲の世界観が徐々に広がりをみせます。

 

まず、パッと聴き手の頭の中に広がるのは、砂浜と波のコントラスト。

足跡だらけの砂浜はきっと、彼女とぼくが2人で歩んできた時間の象徴なのでしょう。歩んできた道を振り返ると、ぼくの後ろには足跡がたくさん。その一方で、彼女を象徴する波が、押し寄せて引いていった場所は、足跡1つ残っていない。彼女との時間を思い出にしきれないぼくと、すでに前を向いているであろう彼女という2人の心情の対比が、なんとも切なく胸に沁みます。さらに、波のように心をさらった彼女の気持ちが、この涙でもう一度押し寄せてきてはくれないものか...と畳み掛けるように歌うぼくの叶わない願いに、ぎゅっと胸が締め付けられます。

 

ぼくと彼女の心情を映し出す砂浜と波の大きいコントラストの中に、彼女を象徴する波の、“さらう”  “押し寄せる” といった対比表現が入っていて、情景と言葉の二重の対比が味わえる。そこが、このフレーズの面白さであり、魅力だと思います。

 

ⅴ 空と地

2番のサビでは、彼女との思い出を抱えて、砂浜を歩くぼくに対するように、“皮肉のような雲一つない空” が登場します。2番のAメロを引き継ぐように、ここでも〝空と地〟という情景のコントラストを感じることが出来ます。

2番Aメロでは〝砂浜と波〟だったので、ぼくの視線がやや下がり気味だったのに対して、〝空〟というワードが出てきたことで、ぼくの視線が上向きになり、一気に視界がひらけます。これによって、曲の世界観に奥行きが出て、曲の盛り上がりとともに心地良い解放感が聴き手を包み込みます。

 

歩きだそうとするぼくをなだめるように

あなたへの思いが空をまう

皮肉のような雲一つない空を見上げて

かじかんだ手を空にかざした

 

言わずもがな、ここに登場する空は、彼女の心の象徴。そして、歩き出そうとするぼくをなだめるのは、きっと風。

沢山のやりきれない気持ちを抱えて熱くなったぼくに、冷静さを取り戻せと言わんばかりに、手がかじかむほどに冷たい風が、頬を撫でながら吹き抜けていく。その風に乗って、空に舞った彼女への想いは、届くはずもなく、宙を彷徨う。自分の想いが舞った先を辿るように、ふと空を見上げると、そこには2人の時間を思い出に変えて、すべてを吹っ切ったかのような一点の曇りもない空が目に映る。

 

歌詞とともに、私の脳内に流れ込んできたのは、こんな映像でした。この歌詞のすごいところは、ぼくに感情移入した聴き手の視線を、流れるような誘導で、操っているところ。4行の歌詞の中に、ぼくの見ている景色、温度、心情、視線の動きの全てを感じられて、まるで映画のラストシーンを見ているかのような錯覚に陥ります。

 

その中でも、特に気になったのは、この最後の1行。

かじかんだ手を空にかざした

“かじかんだ” というワードが入ることで、情景に温度を感じられるとともに、手がかじかむほどたくさん冷たい風にあたり、冷静になろうとしても、彼女への気持ちは変わらないという強い想いを感じられます。さらに続く、“かざした” という言葉には、ぼくにとって彼女は今でも眩しい存在で、手を伸ばしてももう届かないという切なさが滲みます。この、“手を伸ばした” ではなく、“かざした” という言葉選びに、私はすごくグッときました。

 

*全体を通して

全体を通しての感想としては、比喩表現(特に暗喩)が多く、日本語の繊細さを生かした歌詞だなという印象を受けました。そして、なんといっても、この曲の最大の特徴は、ひらがな表現が多いこと。(ぼく、つないだ、ほつれていく、さえない、さまようetc...)多分、薮くんが作詞するときに、意図的にひらがなを使ったのだと思います。「僕」ではなく、「ぼく」にすることで、どことなく幼い印象が感じられ、彼女の大人っぽさがより一層際立ちます。接続助詞のニュアンスの使い分けも、漢字とひらがなの使い分けも、日本語ならではの良さや綺麗さの伝わる表現で、ほんとに丁寧に作り込んだ歌詞だなぁ…と、そんなところにも作り手の思いが感じられました。

 

また、軸となるストーリーは、はっきりと聴き手に伝えつつも、全体に比喩表現を散りばめることで、聴き手が自分なりに歌詞の背景を想像し、曲の世界観を広げられる余地を残す絶妙なバランス。そして聞けば聞くほど、新たな発見がある丁寧な作り。作り手のこだわりと、色んな仕掛けが詰まっているからこそ、〝また聞きたい。〟と思わせてくれる一曲になっているのだと思います。

 

*あとがき

私が思い描くスクランブルのイメージとしては、冒頭に書いたように、2月後半〜3月のイメージだったので、その期間に合わせて公開したかったのですが、間に合わず...。予定より少し遅れての投稿となってしまいましたが、目を通してくれた誰かに、少しでも楽しんでもらえていれば幸いです。

 

結論としては、「薮くんって、すごいなぁ...。」の一言に尽きます。はい。

 

 これだけ魅力の詰まった楽曲を、文字制限があるTwitterでなんとか伝えようと思ったら、「やばい」の3文字に想いを詰め込む気持ちも分かる気がします。魅力的であればあるほど、伝えたいことがたくさんあって、短い言葉で伝えるのは難しい。そんなこんなで、短い言葉に想いを凝縮するのが苦手な私は、つらつらとスクランブルの良さを綴ってみたわけです。

しかし、この曲について書く際にふと頭を過ったのは、担当が違うのにとか、担歴の長さが…といった考え。そんなことをうじうじと考えているうちに、月が変わってしまったんですよね。

でも、やっぱり良いものは良いと声を大にして言いたいのです。そんな私から、最後にひとこと言わせてください。

 

「ちょっと、そこのあなた。もう聞きました?薮くんが作詞したHey! Say! BESTのスクランブルが、やばいんですよ。」