スクランブルに恋をして。

Hey! Say! BESTの曲の中でも、人気曲の1つであるスクランブル。澄んだ冷たい空気の中に、春の気配が見え隠れする2月後半から3月にかけて、私は無性にこの曲が聞きたくなります。BESTの曲の中でも、スクランブルが私の1番のお気に入りです。

 

_____出会いのきっかけは、Twitterの検索機能。

 

jumpに興味を持ってから、最初にしたことは、人気曲を知ることでした。レンタルショップで一通りCDを借りてきたものの、どこから手をつけよう?そう思った時に、とりあえず人気どころから聞いてみようとなったわけです。インターネットでの検索はもちろん、リアルタイムでの人気も知りたかったので、Twitterでも検索をかけました。

 

そしてリサーチの結果、どうやらRELOADとスクランブルがやばいらしい...との情報を得ました。RELOADはレンタルショップから借りてきたCDの中に収録されていたので、すぐに聞けたのですが、スクランブルは初回盤に収録されているものだったので、その時は聞けずじまい。

 

RELOADをきっかけに、jumpの魅力にどっぷりとハマってしまった私は、スクランブルとは一体どんな曲なのか調べ始めました。とはいえ、検索をかけてもかけても出てくる感想は、「スクランブルは、やばい。」というものばかり。

 

いや、だから何がどうやばいんだー!?

 

耐えきれなくなった私は、とうとう音源入手に踏み切りました。

 

聞いた後の私の第一声は... 

 

「やばい。」

 

ライブDVDを見た感想の場合の「やばい。」は、「かっこよすぎて、やばい。」って意味なんだろうってすぐに理解できると思うんです。

じゃあ、曲を聞いた後の感想が「やばい。」って一体どういう事なのか?みんなにそう言わせてしまうこの曲の魅力ってなんなんだろう…?

今回は、自分が考えるスクランブルの魅力について、思いのままに綴ってみようと思います。

 

私の感じたスクランブルの魅力

 

その1 耳心地の良さ。

この曲は、なんでこんなにも耳心地が良いんだろう?と考えた末に、2つのポイントに行き着きました。

 

①使われている音域の広さ

冒頭のどこか切なげな透き通ったイントロにグッと意識を引き寄せられ、一気に曲の世界観に飲み込まれます。そしてなんと言っても、音域の広さ。自分には出せない少し掠れ気味の男っぽさ溢れる低音にドキッとして、サビの切なくも甘く歌い上げる高音にまた心を揺さぶられる。ただ甘いだけじゃなく、時折現れる男性特有の低い声がピリッと曲を引き締める。そんなところが、またもう一度聞きたい!と、後を引く要因の1つなのかもしれません。

 

②メロディーへの歌詞の乗せ方

個人的に、曲のメロディーにア段が乗るポイントが、とても心地よく感じました。実は、この母音の「ア」って、作詞をする上でとても大事な音なんだそうです。

 

いきものがかり水野良樹さんは、2016年10月18日放送の関ジャム完全燃Showで「一瞬で人の心をつかむためのテクニック」として、サビ頭の母音を「ア」から始まるように作詞をしているとおっしゃっていました。日本語の母音の中で一番はっきりと聞こえるのって、「ア」って音なんだそうです。人間は驚きや喜びを伝えるとき母音の「ア」がつくことが多いとか。だから、曲の冒頭やサビは、なるべくこの音から始まるように意識的に歌詞を書くようにしているそうです。

 

その話を思い出して、歌詞カードを改めて見返してみました。 f:id:yk441:20170202005513j:plain

すると、びっくり。歌詞カードのスペースが空く3〜4行までを一つのブロックとして考えると、サビ頭のみならず、どのブロックの冒頭の歌詞も、全部ア段から始まっているんです。

これは意図的なのだろうか...?意図的だとしたら、この歌詞を書いた薮くんは、相当な策士。

 

その2 歌詞の世界観が綺麗。

 「この曲の最大の魅力は?」と聞かれたら、私は迷わず、「歌詞が綺麗。」と答えます。

 

叙事詩と叙情詩のバランス

この曲は、叙事詩と叙情詩のバランスが絶妙だなと感じます。歌詞の中に出てくる“ぼく”の周りの様子や行動を説明することで、蘇ってきた“ぼく”の感情が、聴き手にじんわりと伝わってくる。そんな繊細な水彩画のような描写が、この曲の最大の魅力だと私は思います。

伝わり方は、あくまで 〝じんわり〟と。一回聞いただけで、歌詞の内容を全て味わい尽くせてしまうと、飽きてしまうんです。けれど、この曲は、聞けば聞くほど、ぼんやりとした過去の記憶を呼び起こすかのように、自分の脳内に浮かぶ曲の描写がじんわりと色濃くなっていく…そんな感覚を覚えます。私にとっては、それが面白くて、心地よかったのです。

 

②たくさんの対比

歌詞の中にたくさん対比が使われているのも、この曲の歌詞の魅力的なポイント。 f:id:yk441:20170402020927j:image

対比になっている言葉やフレーズに色をつけてみると、かなり沢山の対比の描写が取り入れられていることが分かります。(後半部分はまた後で触れるので、画像では省略。)

全体として大きく見ると、1番は主に回想を中心として過去を歌っているのに対し、2番はぼくの心情を中心として現在を歌っています。

ここからは、大きなコントラストの中に散りばめられた沢山の対比表現について、私なりに感じた面白さを1つ1つ綴っていこうと思います。

 

ⅰ つないだ手と糸

つないだハズの小さなその手のひらの感触は

糸がほつれていくように流れた

ここでまず注目したいのが、“ほつれていくように” という言葉。最初に歌詞を読んだ時に、なんでほどけるじゃないんだろう...?って少し疑問に思ったんです。調べてみたところ、基本的には、両方とも同じ意味らしいのですが、ほつれるという言葉には、〝とけて乱れる〟という意味合いがあるそうです。そんな細かいところにも〝スクランブル〟を感じられて、言葉選びの丁寧さが伝わってきます。

 

そして、ここのフレーズの魅力は、“つないだ手” と “糸がほつれていくように” という対比だけにとどまらず、2番の歌詞で、さらに後半部分の表現が変化しているところなんです。

1番では〝流れた〟となっているところが、2番では〝消えゆく〟となっています。この表現の微妙な変化に、繋いだ手の感触が消えてしまうほど時が経ったことを感じ、さらに切なくなります。まさに、“立ち止まるぼくをあざ笑うように進む” 時の流れを感じられる歌詞だと思います。

 

ⅱ 背伸びするぼくと踵をあげる彼女

聴き手をこの曲の世界観にグッと引き込む要となっているのが、このフレーズ。

背伸びしすぎねとぼくに囁きながら
いつも自分で踵をあげたね

この曲の何がすごいって、ここなんです!!

ここを誰かに語りたいがために、私は今回このブログを書いたと言っても過言ではないくらい、私はこのフレーズが本当に大好きです。

 

ぼくよりも背の低い彼女が、自ら背伸びをして、唇を重ねる光景が目に浮かぶなんともおしゃれな言い回し。ただ、それだけでは終わらない。

 

このフレーズの冒頭の “背伸びしすぎねと囁きながら” に注目すると、今度はぼくと彼女の関係性が浮かび上がってきます。彼女に追いつこうと背伸びをして、早く大人になろうとするぼくと、それをお見通しで余裕な彼女。

ぼくがいくら頑張って追いつこうとしても、彼女はいつもヒールを履いて大人ぶるから、その差は埋まらない。“踵をあげる” という言葉を、大人の女性から連想される 〝ヒールの高い靴を履く〟という意味合いに捉えると、そんな解釈も出来て、切なさに胸がキュッとなります。

 

このように、ぼくと彼女の物理的な身長差を表現しつつ、〝キス〟や 〝くちびる〟などといった直接的な言葉を使わずに、暗に、聴き手に2人の状況や恋仲であることを分からせる。さらに、ぼくと彼女の関係性の背景までもが表現されている。たった2行に、物理的な描写と、精神的な描写の双方が映し出されているところが、おしゃれで素敵な表現の仕方だなぁと感じます。

それを踏まえて俯瞰で見ると、精神的に “背伸び” をしているのはぼくの方だけど、物理的に “背伸び”をしているのは彼女の方...なんて対比も見えてきて、また面白い。色んな角度から見れば見るほど、この曲を好きになる...そんな風に思わせてくれる2行です。

 

ⅲ 『のに』と 『から』

 1番のBメロと2番のBメロにある “気持ちの鍵” という表現。パッと見ただけでも、これは1番と2番が対になってると分かるコントラストのハッキリした表現です。

 

ここの面白いところは、“知っていたのに” の対になる歌詞が、 “知っていたから” になっているところ。他の部分は、“さえない表現” と “楽しげな表情” 、“鍵をかけた” と “鍵をあけた” のように正反対の表現が使われている。それに対して、“知っていたのに” と “知っていたから”の対比は、知っているというベースは共通していて、最後2文字の接続助詞でコントラストをつけているところが、面白い。何気なく聞き流してしまう箇所だけれど、こういう細かい部分にこそ、日本語表現特有の繊細な色使いが感じられて、とても素敵です。

 

ⅳ 足跡だらけの砂浜と波

2番のAメロに使われているこの歌詞。1番で、しっとりと彼女とぼくの思い出に浸っていた聴き手の意識を、ここから徐々に現在へと引き戻していきます。さらに、1番では比較的、言葉と言葉の対比が中心でしたが、2番からは情景の中での対比が加わりはじめ、曲の世界観が徐々に広がりをみせます。

 

まず、パッと聴き手の頭の中に広がるのは、砂浜と波のコントラスト。

足跡だらけの砂浜はきっと、彼女とぼくが2人で歩んできた時間の象徴なのでしょう。歩んできた道を振り返ると、ぼくの後ろには足跡がたくさん。その一方で、彼女を象徴する波が、押し寄せて引いていった場所は、足跡1つ残っていない。彼女との時間を思い出にしきれないぼくと、すでに前を向いているであろう彼女という2人の心情の対比が、なんとも切なく胸に沁みます。さらに、波のように心をさらった彼女の気持ちが、この涙でもう一度押し寄せてきてはくれないものか...と畳み掛けるように歌うぼくの叶わない願いに、ぎゅっと胸が締め付けられます。

 

ぼくと彼女の心情を映し出す砂浜と波の大きいコントラストの中に、彼女を象徴する波の、“さらう”  “押し寄せる” といった対比表現が入っていて、情景と言葉の二重の対比が味わえる。そこが、このフレーズの面白さであり、魅力だと思います。

 

ⅴ 空と地

2番のサビでは、彼女との思い出を抱えて、砂浜を歩くぼくに対するように、“皮肉のような雲一つない空” が登場します。2番のAメロを引き継ぐように、ここでも〝空と地〟という情景のコントラストを感じることが出来ます。

2番Aメロでは〝砂浜と波〟だったので、ぼくの視線がやや下がり気味だったのに対して、〝空〟というワードが出てきたことで、ぼくの視線が上向きになり、一気に視界がひらけます。これによって、曲の世界観に奥行きが出て、曲の盛り上がりとともに心地良い解放感が聴き手を包み込みます。

 

歩きだそうとするぼくをなだめるように

あなたへの思いが空をまう

皮肉のような雲一つない空を見上げて

かじかんだ手を空にかざした

 

言わずもがな、ここに登場する空は、彼女の心の象徴。そして、歩き出そうとするぼくをなだめるのは、きっと風。

沢山のやりきれない気持ちを抱えて熱くなったぼくに、冷静さを取り戻せと言わんばかりに、手がかじかむほどに冷たい風が、頬を撫でながら吹き抜けていく。その風に乗って、空に舞った彼女への想いは、届くはずもなく、宙を彷徨う。自分の想いが舞った先を辿るように、ふと空を見上げると、そこには2人の時間を思い出に変えて、すべてを吹っ切ったかのような一点の曇りもない空が目に映る。

 

歌詞とともに、私の脳内に流れ込んできたのは、こんな映像でした。この歌詞のすごいところは、ぼくに感情移入した聴き手の視線を、流れるような誘導で、操っているところ。4行の歌詞の中に、ぼくの見ている景色、温度、心情、視線の動きの全てを感じられて、まるで映画のラストシーンを見ているかのような錯覚に陥ります。

 

その中でも、特に気になったのは、この最後の1行。

かじかんだ手を空にかざした

“かじかんだ” というワードが入ることで、情景に温度を感じられるとともに、手がかじかむほどたくさん冷たい風にあたり、冷静になろうとしても、彼女への気持ちは変わらないという強い想いを感じられます。さらに続く、“かざした” という言葉には、ぼくにとって彼女は今でも眩しい存在で、手を伸ばしてももう届かないという切なさが滲みます。この、“手を伸ばした” ではなく、“かざした” という言葉選びに、私はすごくグッときました。

 

*全体を通して

全体を通しての感想としては、比喩表現(特に暗喩)が多く、日本語の繊細さを生かした歌詞だなという印象を受けました。そして、なんといっても、この曲の最大の特徴は、ひらがな表現が多いこと。(ぼく、つないだ、ほつれていく、さえない、さまようetc...)多分、薮くんが作詞するときに、意図的にひらがなを使ったのだと思います。「僕」ではなく、「ぼく」にすることで、どことなく幼い印象が感じられ、彼女の大人っぽさがより一層際立ちます。接続助詞のニュアンスの使い分けも、漢字とひらがなの使い分けも、日本語ならではの良さや綺麗さの伝わる表現で、ほんとに丁寧に作り込んだ歌詞だなぁ…と、そんなところにも作り手の思いが感じられました。

 

また、軸となるストーリーは、はっきりと聴き手に伝えつつも、全体に比喩表現を散りばめることで、聴き手が自分なりに歌詞の背景を想像し、曲の世界観を広げられる余地を残す絶妙なバランス。そして聞けば聞くほど、新たな発見がある丁寧な作り。作り手のこだわりと、色んな仕掛けが詰まっているからこそ、〝また聞きたい。〟と思わせてくれる一曲になっているのだと思います。

 

*あとがき

私が思い描くスクランブルのイメージとしては、冒頭に書いたように、2月後半〜3月のイメージだったので、その期間に合わせて公開したかったのですが、間に合わず...。予定より少し遅れての投稿となってしまいましたが、目を通してくれた誰かに、少しでも楽しんでもらえていれば幸いです。

 

結論としては、「薮くんって、すごいなぁ...。」の一言に尽きます。はい。

 

 これだけ魅力の詰まった楽曲を、文字制限があるTwitterでなんとか伝えようと思ったら、「やばい」の3文字に想いを詰め込む気持ちも分かる気がします。魅力的であればあるほど、伝えたいことがたくさんあって、短い言葉で伝えるのは難しい。そんなこんなで、短い言葉に想いを凝縮するのが苦手な私は、つらつらとスクランブルの良さを綴ってみたわけです。

しかし、この曲について書く際にふと頭を過ったのは、担当が違うのにとか、担歴の長さが…といった考え。そんなことをうじうじと考えているうちに、月が変わってしまったんですよね。

でも、やっぱり良いものは良いと声を大にして言いたいのです。そんな私から、最後にひとこと言わせてください。

 

「ちょっと、そこのあなた。もう聞きました?薮くんが作詞したHey! Say! BESTのスクランブルが、やばいんですよ。」

 

 

 

Dear.

 

アルバム曲の中で、最も優しい曲調で、爽やかな印象の『 Dear. 』。でも、私はなぜかアルバム曲の中でこの曲を聴いてる時が、1番胸が苦しくなります。

以前、このブログに書いた『 my girl 』も、もちろん切ない楽曲ですが、この曲はそれとはまた違った胸の苦しさを感じます。

 

 

_____  Dear.は〝恋〟じゃなくて、〝愛〟を歌ってる。

 

 

この曲を聴くたびに、私はそう感じます。

この曲は、愛に溢れすぎてるから、こんなにも胸が締め付けられるのだ...と感じました。

 

※ここから先は、あくまで私の個人的な見解と想像を綴ります。ご了承ください。

 

 

 

この曲を初めて聞いた時に、私の頭の中にまず浮かんだのは、澄み切った青空でした。

爽やかな風に吹かれながら、1人の男の子が青空を見上げて想いを馳せている...そんな印象を受けました。

 

 

最初は、お互いの夢のために離れる決断をしたカップルの歌なのかな?と思いました。2人は夢を追い続けるために離れ離れになってしまったけれど、彼はまだ彼女を愛していて、空を見上げ、遠い地の彼女に想いを馳せている...。

 

でも、そのイメージでいくと、歌詞の意味があまり当てはまらなかったり、腑に落ちない箇所が出てきました。

 

〝夜明けが来ない日〟

〝その笑顔に 吹き止まない風と想いが凭れたまんま〟

 

この歌詞だけ、なぜかイメージと少しだけ違う気がしました。何が違うんだろう...?そう考えた時に、ふと冒頭の歌詞に目が留まりました。

 

 

「大切な人はいるの?」って聞かれるたびにね  

あの日を思い出すよ

 

気になったのは、〝大切な人〟という言葉。

〝好きな人〟ではなくて、あえてこの言葉を選んだのは何故なんだろう...?

そう思いながら、もう一度歌詞に目を通して行くと、次の歌詞を読んで、ハッとさせられました。

 

君がくれた想いこそ 僕にとっては生きてく証

 

もしかしたら、遠距離は遠距離でも、彼の想っている大切な人は、もう彼の手の届かないところにいるのではないか...と感じました。

 

特に、〝生きていく証〟という言葉が印象的で、私の中の決定打になりました。

普通の遠距離恋愛ならば、その言葉選びは少し強すぎる気がします。だけど、空の上の大切な人に向けて想いを綴ったものだと考えれば、自然な言葉選び。

〝空の上から見守る彼女〟と〝空を見上げる彼〟を対照的に印象付けるには、ぴったりな言葉だと感じました。

 

 

「大切な人はいるの?」って聞かれるたびにね

あの日を思い出すよ

何度も話した夢はまだずっと遠くて

でも追い続けてるよ

君がくれた想いこそ 僕にとっては生きてく証

 

〝あの日〟はきっと、彼女と約束を交わした日であり、お別れをした日。

 彼は、彼女に何度も自分の夢の話をしていたのだと思います。 そして〝君がくれた想い〟は、彼女が最後に、彼に残してくれた言葉なのではないか...と想像します。

 

きっと、その言葉は...

 

 

_____〝頑張れ。〟

 

 

 

彼女のその一言には〝絶対に夢を叶えてね〟〝あなたならできる〟〝信じてるよ〟etc...彼へのいろんな想いが、ぎゅっと凝縮されてたのだろうなと思います。

その想いを受けて、彼は大切な人との別れを受け止めるとともに、〝自分の夢を絶対に叶えてみせる〟と彼女に誓ったのかな... と想像しました。

 

個人的に、1番の歌詞は、彼が夢を追い続けて戦っている場所から青空を見上げているイメージを抱きました。

 

Dear.  

今日の君は 明日の君は 笑ってますか?泣いてますか?
僕の声 そこに届いてますか?

もう今日の僕も 明日の僕も 君しか胸の真ん中にいない

 

今日の君も明日の君も、どんな表情をして、どんな風に過ごしているのかさえわからない距離にいる僕。そんな僕の声は、空の上にいる君の元まで届いていますか?

僕は、今日も君への想いを胸に、夢を追い続けて頑張っているよ。

 

どこか切なげな表情で 、そんな風に空に問いかける〝僕〟を想像しました。

 

 

そして続いて歌われるのは、こちらのフレーズ。

 

ねえ もしも夜明けが来ない日を不意に迎えても 君を見つけられる

形のないものを信じる強さが きっと引き寄せてくれるから

 

〝夜明けが来ない日〟は、永遠の別れ。そして〝君を見つけられる〟は、君の気配を見つけられるという意味なのではないかなと思いました。

その後の〝形のないもの〟は、彼女への愛であったり、2人の絆のことを意味してるのだと思います。

 

君がいなくなった世界でだって、僕は日々の生活の中に〝君の気配〟を見つけられるよ。君への想いや、2人の絆が、僕にその存在を教えてくれると思うから。

そんな風に、〝僕〟が歌っている気がします。

 

 

私の中では、1番が、僕が夢を追い続ける場所から歌っているならば、2番は、大切な人が眠っている場所から歌っているイメージを抱きました。

 

何故かというと、その後に続く歌詞が私の心に引っかかったからです。

 

その笑顔に 吹き止まない風と想いが凭れたまんま

 

〝その笑顔に吹き止まない風〟って、どういうことなのだろう...?とずっと疑問に思っていました。

この曲の歌詞で、1番イメージしにくかったのは、この部分でした。最初に思い浮かんだ遠距離恋愛のイメージだと、どうしてもしっくり来なかったのも、このフレーズでした。

 

〝その笑顔〟は、彼女の大好きな笑顔を思い起こさせるような何かなのでは...と考えました。それは、形見であったり、お墓であったり、捉え方は色々あると思います。でも私の中のイメージは、彼女のお墓かな...。

 

お墓の前で手を合わせ、大好きだった〝その笑顔〟を思い出す僕。そんな僕を慰めるかのように、〝吹き止まない風〟が優しく頬を撫でる...そんなイメージ。

 

その後に続く〝想いが凭れたまんま〟という歌詞。〝凭れる〟には、甘えて頼るという意味があります。

 

彼は、夢を追いかけることに疲れた時には、決まってこの場所を訪れるのでしょう。自分1人の決意では、折れてしまいそうになる心も、君との約束を思い出すたび、まだまだ頑張ろうと思える。大好きなあの人への気持ちに〝凭れて〟、彼は夢を追い続ける原動力を得ているのだと思います。

 

 

Dear.
今日の僕は 明日の僕は この先もずっとずっと伝えたい事が溢れてるんだ

 

再びここで、僕は空に向かって想いを綴ります。〝この先もずっとずっと 伝えたい事が溢れてるんだ〟というフレーズに、私はとても愛を感じます。

 

〝この先もずっと  伝えたいことが溢れている〟と歌えるくらい、彼はまだ彼女のことを愛している。そして、これからもずっと伝えていく前提で歌っているところに、心の中から彼女の存在が消えるという選択肢が、彼の未来には無いように感じるからです。

 

 

その後に続くフレーズも、さらに彼の愛を感じられて、胸が締め付けられます。

 

そう今日の君へ 明日の君へ 僕しか出来ない事がある

 

〝僕しか出来ない事がある〟とは、〝彼女との約束を果たすこと〟だと私は感じます。

 

冒頭に出てきた〝君がくれた想い〟という歌詞。僕に夢を叶えて欲しいという〝君がくれた想い〟にきちんと報いることが、〝僕にしか出来ない事〟なのだと私は思います。

だから、僕は今日も〝何度も話した夢〟を〝追い続けてる〟のでしょう。

 

僕らを包む柔らかな未来

何度も綴った想いは 今も変わらずに導いてくよ

 

〝僕らを包む柔らかな未来〟からは、彼の中で彼女との別れは、過去に縛り付けられるものではなく、未来へと繋がっていく過程として、彼なりに精一杯受け止めた結果なのだろうなと感じました。

精一杯受け止める事ができたからこそ、僕らを待ってる素敵な未来を信じ、夢を追い続けられるのだと思います。

 

〝何度も綴った想い〟は、空を見上げながら〝僕〟が彼女に歌った〝Dear. 〟から始まるたくさんのラブレターの数々。

その想いが、彼が夢を追い続けるための力となり、〝今も変わらずに導いて〟くれるのでしょう。

〝柔らかな未来〟へ。

 

 

 

たとえ離れてもそばにいるんだ
繋がってるんだ

 

空の上と下、たとえ離れていたって僕の心は、いつだって君のそばにいる。 僕たちの心は繋がってる。

と歌って、最後にもう一度、〝僕〟は彼女に心の中でラブレターを綴ります。

 

 

Dear.
今日の君は 明日の君は 笑ってますか? 泣いてますか?
僕の声 そこに届いてますか?

 

今日の君は明日の君は、何を想って、何をしているのだろう?...なんて、毎日君を想ってしまう僕の声は、君のところまで届いていますか?空の上から、僕のことを見守ってくれていますか...?

今日も懲りずに、〝僕〟は〝君〟に胸の中で問いかけます。

 

ここのフレーズでは、周囲の音がサッと消えさります。そして、山田くんが〝Dear.〜〟と、そっと優しく想いを乗せるように歌い始めるのを合図に、薮くんとの澄み渡ったハーモニーが、スッと染み渡ります。

そんな曲の構成が、より一層、〝僕〟が大切な人に向かって心から想いを叫んでいるように錯覚させ、曲の儚さと切なさを感じさせます。

 

 

もう今日の僕も 明日の僕も 君しか胸の真ん中にいない

 

1番でも登場するこのフレーズ。

今日の僕も明日の僕も...きっとこれから先も、ずっと君だけを想っているよ。そんな愛に溢れた歌詞だなと感じました。

 

〝君しか胸の真ん中にいない〟には、〝君だけを想うよ〟という意味の他にも、〝僕の心をいつも支えてくれてるのは君だよ〟という意味もあるのかな?と感じました。

 

少し前の歌詞で、〝今も変わらずに導いていくよ〟と歌っていたので、彼のコアな部分にいる彼女の存在が、彼が夢を追い続ける上での原動力であり、心の支えになっているのかな...と感じました。

 

 

 

そして最後に...

 

 

〝My Dear…君へ捧ぐ〟

 

_____親愛なる君へ、このを捧げるよ。

 

 

 

 再び、周囲の音がサッとなくなり、山田くんの澄み渡った声だけが響き渡ります。

〝My Dear... 〟と歌う山田くんの声は、まるで〝僕〟が空に向かって精一杯手を伸ばし、本当に愛しい人に呼びかけているようで、聞くたびに素敵だなと感じます。そして、〝君に捧ぐ〟の部分に芯の強さを感じ、心を打たれます。

 

 

 最後の最後まで、〝僕〟は彼女への愛を力いっぱい歌って、この曲は終わりを迎えます。

 

 

この曲のタイトルである『Dear. 』という名前の通り、私はこの曲を、空の上の大切な人への気持ちを綴ったラブレターだと思っています。

だから、私はこの曲を聴くたびにいつも、彼の優しくて深い愛に、胸がギュッと苦しくなります。切なくて儚い、愛に溢れた素敵な曲だなと感じました。

 

 

冒頭にも書きましたが、このイメージはあくまで個人的なものです。その点につきましては、ご理解の程、よろしくお願い申し上げます。

 

アルバムを買った人の感想には、同じくアルバムの収録曲である〝『From. 』が好き!〟という意見を多くお見かけしました。

一方で、『Dear. 』の良さを語っている方をあまりお見かけしなかったので、前回に引き続き、自分が感じた曲へのイメージを交えながら、この曲の良さを自分なりにブログに綴ることにしました。

 

もし、このブログを読んで、もう一度この曲も聴きなおしてみようかな...?なんて読者の方に思ってもらえることがあれば、幸いです。

 

 

 

P.S.

先日のmy girlの投稿に対して、感想を送ってくださった方々、本当にありがとうございました。

おかげさまで、約1週間でアクセス数が25000件を突破しました。

 当初は、自己満足のために書いたもので、自分自身、まさかここまで沢山の反応を頂けるとは思っていませんでした。何度も読み返しています!と感想をくださった方も沢山いて、驚くとともに、とても嬉しく思っております。( ;  ; )♡

 

今後も、ゆっくりマイペースに更新していくつもりです。ぜひ気が向いたときにでも、暇つぶしがてら、またブログに遊びに来ていただけたら嬉しいです(*´꒳`*)

今後とも、どうぞよろしくお願い致します。

 

yuu.

 

 

my girl

 

2人で1人の女の子を取り合うイメージで作り上げられた有岡くんと山田くんのユニット曲、my girl。

 

聞けば聞くほど、胸の奥がギュッと締め付けられて苦しくなる...。2人の声が作り上げる透明感のある世界の中に切なさがじわっと滲む、すごく素敵な曲だなと感じました。

 

私はどんな曲でも、自分なりに世界観を知りたくて、聴く時に目を瞑って、その曲の情景をイメージをしながら聞きます。

曲調や歌詞の内容、歌い手の歌い方からイメージを膨らませて、自分なりにその曲を噛み砕いたものが、頭の中で映像として自動再生される。いわば、オリジナルMVを再生しているような感じですかね。

 

せっかくなので、今回はmy girlを聞いた時に自分の頭の中に浮かんできた情景を書き残しておこうと思います。

あくまで個人的な想像です。ご了承ください。

 

まず、登場する3人の関係は、幼馴染。

山田くんが歌うパートの男の子は、ヒロインの女の子と、小さい頃から兄妹のように育てられた幼馴染。

有岡くんが歌うパートの男の子は、2人の仲に後からスルッと自然に入り込んで、仲良くなった幼馴染。

山田くんが幼稚園からの幼馴染だとしたら、有岡くんは中学から仲良くなった幼馴染って感じかな。

 

(以下、山田くんと有岡くんを主語にして話を進めます。)

 

冒頭の部分で、〝Give it up, Give it up, yeah    I  let you know she's my baby 〟(諦めろ、諦めろ。あいつは俺のものだって教えてやるよ。)と牽制し合う2人。

 

そして、山田くんのパートが始まります。

少し意訳してニュアンスで書くと、〝なんて言おうとも 何にも変わらないさ、彼女は俺のものだから。渡しはしないよ。〟となります。

それに対して、有岡くんが〝知ってるだろ、彼女と僕の関係を。分からないの?邪魔は出来ないよ。〟と歌い返す。

 

ここの部分から、先ほど書いた情景を想像しました。

きっと山田くんは、彼女と強い絆で結ばれてる自信があるのだろう...と。特に、〝何も変わらないさ〟に自信を感じます。だから、有岡くんよりも、昔から強い絆で結ばれている幼馴染の役を与えました。

 

一方で、有岡くんには彼女の幼馴染のみならず、現在の彼氏の役も与えようと思います。山田くんに対して、有岡くんのフレーズの方が、彼女との現在の関係からくる自信を感じたからです。

 

幼馴染で仲の良かった3人。

元々、彼女は山田くんのことが小さい頃から好きだった。けれど、ずっと想いを伝えることは出来ず、2人はすれ違っていった。何らかの事情で、山田くんだけが2人と離れて別の環境に行ってしまい、疎遠になった。

 

山田くんに思いを伝えられなかった後悔と切なさに打ちひしがれる彼女。そんな彼女にずっと寄り添い、優しく支え続けたのが、有岡くんだった。その優しさに彼女はだんだんと心惹かれ、2人は付き合うようになった。

 

そんな矢先、大人になった2人の前に再び現れたのは、忘れられるはずもない、もう1人の幼馴染の存在。

 

久しぶりの再会に、山田くんと彼女の距離はグッと縮まってゆく。とっくに胸の奥にしまいこんだはずの過去の淡い恋心が、彼女の心の中に再び顔を出し始める。そして彼女は、どんどん2人の間で心が揺れてゆく...。

 

山田くんと彼女は、幼い頃から、お互いに1番近くにいた存在であり、お互いがお互いにとって特別な存在。だからこそ、どんなに時が経ったとしても、お互いに特別な存在であることは〝何も変わらないさ〟と自信を持って言い切れる。

 

一方で、〝知ってるだろ、俺たちの関係を。分からないの?〟と、まるで現状を見るように促すかのようなフレーズは、現在、彼女の大切な人のポジションを獲得しているからこそ出るフレーズなのではないでしょうか。

 

その後に来る山田くんの、〝僕たちは離れない〟とゆうフレーズは、“ 空白の時間なんて関係ない。僕たち(の心)は離れない ”とゆう意味に感じます。

 

〝誰よりも近くで 守ると決めたんだ〟は、山田くんが幼心に誓った決意。

〝いつまでも she is my baby〟の、〝いつまでも〟の部分は、単なる未来への進行形ではなく、彼女と出会ったあの時から未来へ向かう〝いつまでも〟。

 

〝あの眩しい笑顔をただ見ているなんて出来ないから〟とゆうフレーズは、山田くんに恋する彼女のキラキラした笑顔に、ずっと密かに想いを寄せ続けていた有岡くんの心の声。そのキラキラした笑顔をいつか自分にも向けてほしい、ずっとそう願ってきたのかな。

 

山田くんの歌う〝今引き寄せよう〟は、空白の時間によって離れてしまった彼女の心を、もう一度自分の方へ引き寄せたいとゆう想い。

〝listen up she is my...〟(ちゃんと聞けよ!彼女は俺の...)と歌う有岡くんの抗議の声さえも振り払って、彼女への気持ちは高まっていきます。その山田くんの気持ちの高まりをあらわすかのように、サビに向かって、曲は盛り上がりを増していきます。

 

そんな高まりを受けて始まる〝もう誰にも渡しはしない〟とゆうユニゾンの大サビ。

2人の想いは本質的なところでは同じだけど、それぞれの立場に立つと、少し意味が変わって来るのかなと感じました。

 

山田くんsideだと、もう他の男(有岡くん)に渡したくない。奪い返して、自分のものにしたいとゆう決意の表れ。有岡くんsideだと、やっと手に入れたこのポジション。今の幸せを、誰にも壊させない。とゆう決意の表れ。

 

それぞれの立場で考えると、〝攻めと守り〟の微妙なニュアンスの違いがあるのかなと感じました。だけど、根底にあるのは、〝彼女は俺のものだ〟とゆう同じ想い。ユニゾンでそのフレーズを歌うことで、心の底のどこかリンクする2人の想いが、重なり合ったように感じます。

 

〝そんな言葉いくら並べて〟〝揺らぎはしない〟〝僕達は変わらない〟の所からも、現在の有岡くんと彼女は、強い絆で結ばれていることが感じとれます。ここも、有岡くんに現在の彼氏役を当てはめた理由の1つです。

 

〝あの瞳 覗けばわかるでしょ?〟〝嘘はつかないよ her eyes〟のフレーズから、山田くんは彼女の心が揺らぎはじめていることに気づいているのでしょう。

それくらいのこと、彼女の事をずっと見てきたお前なら分かるはずだよね?とゆう有岡くんへの圧も、少しだけ言葉の裏に感じられます。

 

 

〝一目見た時から 気持ちは揺るがない〟 は、幼い頃に初めて彼女に会った時から、今までずっと彼女だけを想ってきた彼の一途な想い。

その後の〝そばにいたい 守りたい  誓えるよshe is my baby〟は、初めて彼女に会った時の自分に想いを馳せつつ、大人になった今、改めて誓った想い。

 

個人的に、Bメロは1番で過去を歌っているのに対して、2番では現在の想いを歌っているのかなと思いました。

 1番では、〝誰よりも近くで 守ると決めたんだ〟と過去形で歌われているのに対して、2番では、〝そばにいたい  守りたい〟と現在形で歌われている。

そのため、1番は幼心に誓った “ 過去の誓い ” なのに対して、2番は過去の誓いに想いを馳せつつ、大人になった今、さらに強く願った “現在の誓い” とゆう対比で描かれてるように感じました。

 

そのあとに続く、有岡くんのパートも、1番では〝あの眩しい笑顔をただ見ているなんて出来ないから〟と、一歩引いて見た第三者目線から歌われているのに対して、2番では〝誰よりも彼女のそば 弾む笑い声聞いていたいから〟と、1番よりも一歩内側に入って、より近い存在からの目線で歌われているように感じます。

 

自分が知り合うよりも、ずっと前から仲の良かった2人の絆の深さに、少しだけ引け目を感じて、一歩引いて見ていた過去。そして、やっぱり見ているだけは嫌だと自ら一歩踏み出して、やっと手に入れた現在。

 

 この目線の違いから感じられる距離感の変化が、有岡くんと彼女が共に過ごしてきた時間の長さを物語っているように思えます。

 そんな2人の歩んできた時間を分かった上で、相手の言葉を遮るように歌われる山田くんの〝諦めはしない〟とゆうフレーズ。絶対に諦めたくないとゆう彼女への想いの強さを感じます。

 

 

そして再び、ユニゾンのフレーズ。

1番のユニゾンは〝攻めと守り〟の対比と表現しましたが、2番のユニゾンは〝彼女との距離〟の対比のように思えます。

 

彼女の側にはいられなくても、ずっと彼女の事を想い続けていた山田くん。そして彼女の隣で、日々、想いを募らせ続けた有岡くん。

彼女と過ごした時間の長さや距離は違えど、彼女を想う気持ちは同じ。ユニゾンでこのフレーズを歌うことによって、再び、どこかリンクする2人の彼女への想いが重なり合います。

 

続いて始まる有岡くんのパート。

〝渡しはしない〟 〝そうなんて言おうがきっと一緒  誰も邪魔は出来ないこのdistance〟と山田くんへの牽制のフレーズが次々と並びます。

極め付けに、〝どれだけ足掻いたって変わりはしない〟とゆうフレーズ。ここにきて、今までずっと冷静だった彼の攻撃的な一面を垣間見た気がします。

 

ここまでのフレーズはどれも、〝邪魔は出来ない〟〝揺らぎはしない〟〝僕たちは変わらない〟といった、相手からの言葉に動じずに、言葉を返しているものばかり。

そこに突如投げ込まれた〝足掻く〟とゆう言葉。なんだか少し攻撃的で、今までの彼の言葉とは違う印象を受けました。

 

山田くんの彼女への想いの強さに、焦りや不安が募り、感情が露わになったのかな...と初めは思ったのですが、そうではなく、これまでの有岡くんのフレーズは全て、自分に言い聞かせていたものだったのではないか...と思いました。

 

“自分と彼女の築いてきた関係はそんなに簡単に崩れるものではない、だから大丈夫。” と言い聞かせる言葉の裏にはきっと、彼女を取られてしまったらどうしよう...とゆう不安と焦燥感が渦巻いていたのでしょう。

 

ずっと2人をそばで見てきた彼だからこそ、山田くんと彼女の絆の深さを知っている。もちろん、過去のものとして必死に心の奥に押し込めた、彼女の山田くんへの想いの強さも。

 

だから、自分に言い聞かせるように闘っていないと、不安に押し潰されそうになる。自分が彼女と長い時間をかけて、やっとの思いで築き上げてきたものを、一瞬で奪い去られてしまいそうで...。

 

きっと、彼女の心の中には、まだ “あいつの存在”  がある。彼女にとって、いつまでもあいつは、 “ 特別な存在 ” 。そんなこと百も承知で、それでも彼女のそばにいたいと思っていた。でも、彼女との時間が幸せすぎて、忘れていた。気付いたら、いつの間にか前よりも欲張りになっていた。

 

______〝僕だけを見て〟

 

有岡くんの歌声には、切なさとともに悲痛さも含まれているように感じました。幸せな夢から醒めるように、目を背けていたものと再び向き合わなければならなくなった彼。

“ 他の男のことはもう考えないで。僕だけを見て。” そんな彼の悲痛な心の叫びが、このフレーズに凝縮されているのだと感じました。

 

一方で、全く同じフレーズを歌う山田くんの歌声は、切なさを滲ませつつも、有岡くんよりもどこか少しだけ余裕を感じられる、甘く縋るような声。

有岡くんは、彼女の存在を失う怖さが含まれる一方、山田くんは、失うものは何もなく、怖いもの知らずな状態。この2人の歌声に感じる微妙な違いから、そんな気持ちの違いをイメージさせられました。

 

 

1回目の〝僕だけを見て〟は、“ よそ見をしないで。”

2回目の〝僕だけを見て〟は、“ こっちを向いて。” 

誰かが入りこめる隙間もないくらいに、彼女の心のすべてを自分でいっぱいに満たしたい有岡くんと、彼女の心に少しでも入りこみたい山田くん。同じフレーズでも、歌い方で微妙に伝わってくる感情が違うように思いました。

 

 

そして最後に再び、極めつけのユニゾン

〝どんな時も変わりはしない  forever&ever ずっとshe's my girl 〟

両者、一歩も譲らずに曲は終わりを迎えます。

 

 

作詞者や歌い手が、どこまでストーリーを考えてこの歌を作ったのかは分かりませんが、あくまで個人的に抱いたイメージの備忘録として、このブログに書かせていただきました。

 

ライブの演出を見ると、またイメージも少し変わるのかな?と思ったので、その前に書き留めておこうと思いまして...。

 

もし、ここはこんな風にも捉えられるよ!とか、私はこんな風に思ってました!などあれば、是非私にも教えてください(*´꒳`*)

 

誠に僭越ながら

誠に僭越ながら、私からもお祝いの言葉を述べさせていただきます。伊野尾くん、お誕生日おめでとうございます!

 有岡担の私が、つらつらと色々書くのはどうなんだろうと思うところもありますが、伊野尾くんのお誕生日に免じて、あたたかい目で見ていただけたら嬉しいです。

 

今でこそ有岡担を名乗っている私ですが、そもそもjumpに興味を持ったきっかけは、伊野尾くんでした。だから、伊野尾くんの存在は、少しだけ私の中で特別だったりします。

 

ある日、勉強の休憩の合間にたまたま見ていた音楽番組。曲中に伊野尾くんが抜かれたカットがありました。時間にして、約5秒前後。

 

____たかが5秒、されど5秒。

 

その短い時間を最大限に活かした彼のカメラアピールに感動したこと、今でも覚えてます。

 数秒のカットの間に、こんなに表情で魅せることができる人がいるんだ...。

それが伊野尾くんへの第一印象。

 

それから興味を持ち、グループについて色々調べるうち、伊野尾くんの一万字インタビューの記事に出会いました。その記事を読んで、素敵な考え方をする人だなと感銘を受けました。

 

自分なりに調べて、実際に震災後の東北に、足を運んだことも知りました。同じく、震災後に現地に足を運んだ身としては、そんなところに少し親近感を感じたのもあるのかもしれません。

 

知れば知るほど、面白い人だなと感じました。

考え方の基本的なところは自分に近いものを感じるのに、伊野尾くんは私なんかよりも、もっとずっと深くて大人な考えを持っている人なんだなと、尊敬の思いが強くなりました。

 

伊野尾くんのことを知っていくうちに、

あぁ、私が心を奪われたあの5秒間は、彼の努力の積み重ねの成果だったんだろうな...。

と改めて感じました。

 

そこから、きちんとjumpのファンを名乗ることになるまでの経緯は、さらに長くなってしまうので、いつかまた別の機会に。

 

伊野尾くんの意見は、いつも私の視野を広げてくれます。そんな考え方もできるのか...と、日々新しい視点に気づかされてばかりです。

私も、こんな考え方ができる人になれたらいいのに...と思ったことは、一度や二度じゃありません。

 

「誰しも仕事で悩んだり、うまくいかなくてやさぐれたくなる時もあるかもしれないけど、そんな時は、“広い視野を持って、別の場所で頑張ってみる”のもいいと思う。それにプラスして、仕事でチャンスが回ってきたら、もっと頑張って結果を出す努力をすればいい。」

 

あくまでニュアンスですが、以前、雑誌で伊野尾くんがこんなことを言っていました。

偶然にも、以前、目の前の壁が乗り越えられず苦しんでいた私に、両親がかけてくれた言葉と、とてもよく似ていました。

 

だけど心掛けてはいても、やっぱり人間だから、結果が出ないと焦るし、苦しい。

そんな中で、一見、無意味に見えるその時間を、いかに自分を成長させるために使うか考えられるのは、すごいことだと思います。

 

____“Grasp Fortune by the forelock.”

      (幸運の女神には前髪しかない。)

 

なんて言葉があるように、チャンスは回ってきた時に掴まなければ、意味がない。

自分に与えられた時間とチャンスを、最大限に活かし、次に繋げていく伊野尾くんの生き方を、かっこいいなと私は思います。

 

最近では、テレビで見かけることも多くなりました。 自分が今までに学んできたことを最大限に活かした上で、さらに現場で、新しいことをめいっぱい吸収して、より一層自分を成長させていく。そんなところも見習いたいなと、テレビを見ながら思う日々です。

 

長くなりましたが、最後に、改めまして...

 

伊野尾くん、お誕生日おめでとうございます。

これからも、伊野尾くんらしいスタンスで活躍して欲しいなと願っています。

どうか、26歳も伊野尾くんにとって、素敵な一年になりますように...。

 

2016.06.22